今日、散髪に行った。短い髪なので、数ミリ伸びても目立つ。それだけでなく、理容師さんにいわせると毛の立ち方がまっすぐらしく、伸びてくると短くてもすぐに寝癖がつく。そのため月に二回は通わなくてはならない。
若い頃は長髪で、肩に届くまで伸ばしていたときもあった。
髪を短くして何十年が経っただろう。振り返れば、髪を切ったときに、それまでの若者に特有の向こう見ずな勢いも捨て去ったのかもしれない。
その代わりにこじんまりとした日常を手に入れた。
きっと多くの人がこうしたトキを経て、やがて朽ち果てて行くんだろう。
彼はどうだったのだろう。あの長髪のまま、人生を全うできたのだろうか。
誰にもそれは分からない。ただ、はっきりしてるのは、彼の時間が突然、止まったことだ。
床屋のレジの横には結末を伝える号外が置いてあった。
今度行くときには、もうそれは片づけられている。その場所にはミニコミ誌でも置いてあるのだろう。
なにを学べばいいんだろう。果たして悲しみなのか、憎しみなのか、非難なのか、苦しみなのか、分からない。
分からないまま、これから先も月に二度の床屋通いは続く。
香田証生さんのご冥福をお祈りします。