全国的にも有名な九州のある温泉地に、唐揚げ定食屋さんがある。食べてみて、まぁふつうの鶏のモモの唐揚げ以上じゃないとの感想を持っているんだけど、そこに集まる客がちょっとめずらしい。
骨まで食べる人がいるのだ。なんでもその店の味を気に入った一人の客が、始めたことらしい。好みの問題だから、それはそれでいいとしよう。あまり広くもない店の壁には、ところ狭しと”完食”した客のスナップ写真が貼ってあった。
獣姦
米国は平等の国だ。どこにでも分け隔てなく戦いを挑むブッシュ大統領を見れば一目瞭然だ。だから当然、人も獣も平等なはずに違いない。ウィスコンシン州でそれを証明するオッサンがいたので、紹介してみようかと。
地理
アフリカのジンバブエでの記事。来月から始まるシーズンに向け、Premier Soccer League からの視察チームがサッカー場を点検したところ、5つのサッカー場がトップレベルでの試合には不適当と判断された。
あるところでは一方のクロスバーが10cm低く、あるところではゴールの幅が、片方が10cm、もう片方が割れ目でそれ以上に広がっていた。あるところでは1980年代に建てられたからずっと、10cm以上もゴールバーが低いかったことが分かった。
さらにはグラウンドが台形ぽいところもある。どうやら雨期が長いので、いろいろ支障を来したようだ。
とはいえ、これじゃ、これまでの勝敗が微妙になるケースもあるやもしれず、これからシーズンというので関係者はてんてこまいだという。
縛られた女王様
昔からなにか作るのは好きな方だった。作り上げる過程が好きなのだ。このクリニックを造るときも、設計図から始めて、様々な工程が進むのを愉しんだ。
ただいいのか悪いのか分からないけど、一度できあがってしまうと、なんだか興味が薄れてしまう。
ひょっとしたら、患者もそうなのだろうか。田圃のなかに立ち始めたこの建物に、「近所にクリニックができる」とワクワクしたんだろうが、建ってしまうと興味をなくしてしまったようだ。
おかげで今日の診療はヒマだった。
行間
少し興味がある記事があったので読んでいたんだけど、どうしてもここのメモの文字の大きさが気になってしまった。
というのは、いままでのメモは字体が少し大きいような気がして、1月の末から字体を少し小さくしてたのね。自機のWindowsで見るとなかなかいい具合だと納得してたんだけど、昨日あるところでMacを扱う機会があり見てみると、かなり字が小さく映った。
で、自宅に戻って、もう一度字体を大きくして元に戻してみたんだけど、やっぱり自機のWindowsで見ると大きく全体のバランスが悪いような気がする。
翻訳機
英文の記事を読んでいるときにいつも思うのが、これがトルコ語だったらなぁ、ということだ。そうであれば最初から訳してみようという気など起こらないに決まっている。なまじっか知っている単語が出てくるだけに、なんだか分かるような気がして目を通すのだが、結局よく分からない。
今日だって、コンピュータによるすばらしい翻訳機ができたという記事を目にしたのだが、中身がよく理解できない。
でかい仕事
今日はでかい仕事が待っているといえば、院長の場合、アホ犬を洗うことぐらいしかないのだが、スタンフォード大学の研究者は違う。
彼の研究を紹介した記事の最後で、「君たちが想像するように、これはでかい仕事になる」と彼自身が語るように、これは象を洗うよりでかい仕事になりそうなのだ。
それは、若いものの血を輸血すれば、年老いた筋肉が若返るというものだ。まるで吸血鬼じゃないか。
夫婦ゲンカ
既婚者に質問。もしパートナーとケンカをするようなことがあれば、どんな態度を取っておられるだろうか。
思いっきり自分の耳に手を添える。静かに相手の首に手を添える。相手に気づかれないように武器を探す。相手に気づかれてもいいから、逃げ出す。いろんなパターンがあるだろう。
ただ、やってはいけないことがある。特に女性の方だ。
それは静かにがまんすること。というのは、ある研究でこんなことが分かったからだ。
客室乗務員
昨日の講演会からの帰路の話。
遠いところだったので、飛行機を使っての移動だ。旅に必要なものは、捨ててくる恥とアルコールだと心得ている。
ということでビールの臭いをたんまりをさせながら、飛行機に乗り込んだ。
脳のシワ
脳の大きさはヒトの持つ知性とは関係ないという記事があった。
人類は二度、脳が大きくなった期間があるが、そのときは道具を発明するという点ではなんらの進歩を見ていない。
今のヒトと同じような大きさを持ったホモサピエンスがアフリカの大地で歩き初めたのは200万年前。それから150万年過ぎないと、言語や道具、音楽やゲームなどが出てはこなかった。
現在のヒトの脳の大きさは、どちらかというと減少傾向にあり、脳が大きくなる要因は知性以外にあるのかもしれないという。
知性というより、ものを投げたり、ねらった獲物を一番に手に入れために走ったりとかの、いわば生き抜くための肉体的術のために、大脳を大きくさせたのかもしれない、というのが研究者の推論。