サソリ

 幼い頃琥珀に興味を抱いたことがある。まるで生きているかのように閉じこめられた虫を見てるといろんな疑問が湧いてくる。そもそも虫は閉じこめられてからどれくらい生きているのか。
 そう考えたアホな少年院長は部屋に飛び込んできたコガネムシを机の上に置きたっぷりとボンドを上に垂らしてみた。その残虐性は責められるべきものかもしれないが、まぁカエルの実験と一緒だろう。
 とにかく三日後固まったボンドを取り去ってみるとちゃんとコガネムシは動きだしたのだ。もちろんそのあと外に逃がしてやったのはいうまでもない。

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ウェブデザイン

 これでもサイトのデザインには気を使っている。どれだけ気を使っているか、画面の横の線はほぼ水平で、縦の線はほぼ垂直になっているのを見ただけでもお分かり頂けるに違いない。これだけ気を使っているのだから当然行列のできる「院長室」になるはずなのだが現実は違う。きっと訪れてはみたものの行で並んでいいのか、列でならんでいいのか迷っている訪問者が多いのだとにらんでいる。

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ジンベイザメ

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 南の海が気になる。あの方が正月に自家用ジェット機で南の島に行かれたからではない。そこで泳ぐジンベイザメが気になるのだ。
 ジンベイザメをネタ元からの情報で紹介してみよう。30才ほどで性的に成熟し150年以上も長生きすると考えられている。最大のものでは15mにも成長する。オキアミなどのような小さな生き物を食べて生きており、おとなしい性格だと考えられている。”一緒に泳ごうツアー”まで企画されているぐらいだ。人を襲ったりはしない。
 人を喰った株の値打ちが小さくなるのは分かるが、どいういうわけか人を喰わない彼らも小さくなっているという。

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TVとセックス

 イタリアの性科学者がTVと性交渉の関係を報告した。500人近くの夫婦を対象に寝室のTVの有無と性交渉の回数を質問したところ、TVのないカップルは月に8回、一方ある方は4回だった。
 番組の内容も重要で暴力シーンのものではすべてのカップル中半数が、ドキュメンタリーものでは3分の1が性欲をなくしたという。

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阿木山麗子

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「商品名はこれでいいのか全国協議会」第二回大会をどうやら開かねばならないようだ。第一回の議題は”妖怪汁”だった。今回の議題は”阿木山麗子(アキヤマレイコ)”だ。
 最後に子がついているからといって必ずしも人でないことは、茄子や扇子を見れば理解できる。だが通常、”麗子”は女性につけられる名前だ。せめて南極に行ったという幻の人形に与えられた名前であれば納得がいくのだが、そういう”人”を連想させるものとはかけ離れたものにつけられている。なんとパソコンで使うマウスの名前だというのだ。

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首と頭

 ネットサーフしてると、”Why we nod our head for yes and shake them for no?”という題のサイトに行き当たった。
 人は肯定するとき首を縦に振り、否定するときは横に振るのはなぜだろうと考察を加えているサイトだ。かのダーウィンもこの問題に関心を寄せていたらしく、海外へ旅立つ宣教師たちに調べてくれるよう質問票を送っていたという。
 世界にはいろいろなイエス、ノーの表現があるようで、たとえばオーストラリアの先住民は否定のときは首を振らずに右手を挙げ、二三度軽くヒラヒラと回転させる。ボルネオのDyaks(種族?)はイエスでは眉毛を上げ、ノーでは目を変な風にして見るという。

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発光

 今、自分は光り輝いている。だがだれもそれに気づかない。それどころか影の部分しか見ようとしていない。
 いわく、お前の影は薄いと。
 そんな人たちに質問したい。太陽そのものの影を見たがことがあるのかと。
 そう、あまりに光り輝いているからこそ影が薄くなっていることに気づいてないのだ。これだけいっても院長が輝いているかどうか分からない人には、輝いている姿をお見せするしかない。

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寝起き

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 若いころには考え事をたくさんしていた。夢でも考えていたほどだ。いいアイデアが出たときはそのまま起きて考え続けることもあった。だから寝起きはいい方だといえるだろう。
 脳の活動電位が日に2、3発しか出なくなった今でも、起きたらすぐ行動に移るという若いころの習性が残っている。たとえば目覚めたとたん、夢の続きを見るためあっというまに二度寝に入ることも可能だ。
 でもよく考えるとそもそも人は目覚めてからどれくらいで頭がはっきりするのだろうか。

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盗聴器

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 隣人がなにをしていようと構わないなどという風潮が当たり前のこととしてまかり通っているようだが、気に入らない。知らない人であれ近くにいる人たちのことを気にするのは人として当たり前のことではないだろうか。
 だから大学生のころはアパートの隣人の動向を壁に耳を当てて探っていた。とりわけ夜は当たり前の風潮に力を入れて反対していた。それも男女の声がかすかに聞こえるときには、当たり前のことだが当たり前の風潮に大反対していた。

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